年表

佐賀藩上級武士の家に生まれる1838
藩校弘道館外生亮に入舎(7)1844
藩校弘道館内生亮に入舎(16)1853ペリー来航
1854
安政の改革<*1>、日米和親条約
蘭学塾に入舎(19)1856
1858安政の大獄、日米修好通商条約
1860桜田門外の変
蘭学塾が弘道館に合併され教官に就任(24)1861
1862生麦事件
1863薩英戦争
藩当局に経済政策を建言し代品方の役人として長崎に赴任(27)1864禁門の変
長崎で英学を学び始める(28)1864
1866薩長同盟
脱藩上京(30)佐賀謹慎(30)1867大政奉還
1868戊辰戦争
明治新政府にて外国事務局判事となる(31)1868新政府、五箇条の誓分
結婚(31)1869五稜郭の戦い
大蔵大補となり財政改革、造幣寮創建、鉄道創設に尽力する(32)1869
参議となる(33)1870
1871廃藩置県、新貨条例(円銭里)
ウィーン万国博覧会事務局総裁(35)1872東京横浜間鉄道敷設、太陽暦採用、国立銀行条例
参議兼大蔵卿となる(36)‘1873明治6年の政変、徴兵令(軍隊創設→士族の不満)
1876廃刀令、地租改正反対一揆が激化、金禄公債証書給付(=秩禄制全廃→士族没落)
西南戦争の財政処理にあたる1877西南戦争
地租改正事務局総裁となる1878大久保利通暗殺される
参議を辞任、国会開設をめぐり罷免される1881日本銀行設立、自由党を板垣が創設
立憲改進党を創設、総理となる(45)1882
東京専門学校設立(45)1882
立憲改進党を脱党(47)1884自由党解党、華族令制定
1885内閣制度創設
1886銀本位制
伯爵となる(50)1887
外務大臣就任(51)1888市政、町村制公布
大隈外交を批判され、負傷(52)1889自由党再興、府県制、郡制公布、大日本帝国憲法発布
外務大臣辞任、枢密顧問官となる(52)1889
1890立憲自由党を板垣が創設、民法公布
枢密顧問官を免ぜられる(54)1891
1894日清戦争
外務大臣就任(59)1896進歩党結成
1897金本位制
内閣総理大臣兼外務大臣就任(61)1898憲政党結成
内閣総理大臣兼外務大臣辞任(61)‘1898憲政党は憲政本党と憲政党に分裂
憲政本当総理となる1900治安警察法
1904日露戦争
憲政本当総理辞任1907
早稲田大学初代総長に就任1907
アメリカ野球団と早大野球部の試合の始球式1908
白瀬矗の南極探検隊後援会長就任(73)1910
内閣総理大臣兼内務大臣となり第二次内閣を組閣(77)1914-18第一次世界大戦
外務大臣兼任1915
侯爵となる1916
内閣総理大臣を辞任1916
雑誌「大観」を創刊1918
死去(85)1921